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京都見学会その4

営業部  坂林 義教   

フィーリングガーデンの坂林です。

京都見学会、長く引っ張ってしまいまして、すみませんでした。

いよいよ最終の龍安寺となります。

龍安寺といえば、枯山水のお庭でもありますが、石庭で有名です。

このお庭は、753のお庭(奇数を吉数ととらえる考え方)としても有名ですし、どの位置から見ても15石見えないとか…色々と話題にもなっています。

因みにこのお庭ですが、塀が手前が高く、奥が低くなっているのですね。

また、枯山水(水を使わず、白川砂等を敷きならすことで水を表現したお庭)

のお庭が、奥に向かって下がっているのですね。

これは、敷地を広く見せる為に、遠近法がつかわれています。

私は、この塀の趣や(色合いや風格)塀越しに見える借景の取り込み方が

とても上手だなぁ~と感心します。

この龍安寺の石庭は、この塀と借景あればこそ、引き立つものであり

趣が出るのだと思うのです。

また、モミジの紅葉の中に灯篭のさりげない存在感、とても好きです。

灯篭の横に、松が添うように一本ありますが、その松の軸がまっすぐではなく

若干ななめなんですね。

この灯篭と松のバランスもとても好きで、私もこのような空間のとりかたをしたりします。

龍安寺のメイン階段の両側には、龍安寺垣で、これもまた美しいです。

丁度60cmほどを、垣根で両サイド通すことで、とても空間が引き締まりますね。

石敷きの階段がすごく生きてきますね。

最後に蹲踞(上の写真)ですが、写真を見る限りあまりピンとこないかもしれませんが、

この龍安寺の蹲踞は、石の真ん中のロの字を中心に、上から右周りに吾唯足知と

刻まれているのですね。

ご存知の方もあるかと思いますが、吾(われ)唯(ただ)足(たるを)知(しる)と

読むのですね。

解釈の仕方は、色々あるようですが、私も自分なりに整理しています。

特に足るを知るという部分ですが、深い言葉だなぁ~と思います。

自らの足るを知れば、争い事やもめごとというのは、なくなっていくのではないかと思うのです。

足るを知るというのは、今の自分に満足するとか、満ち足りている今の自分を知る

という風にも感じ取れますが、私は足るを知るということは、自らの足りなさ、至らなさを知っていくと

いう風にとらえています。

自分の足りなさを知っていった時、今ある自分がどれほどたりているのか、満たされているのかを

知ることができるように思うのです。

まだまだ、道半ばで至りませんが、これからも精進し一歩一歩向上できるよう努力したいと思います。

最後におまけ画像です。

清水寺の夜景です。

ライティングも勉強になりました。

おわり