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三田市で造園屋さんといえば・・・造園の老舗といえば坂林盛樹園? その2

営業部  坂林 義教   

こんばんは、坂林盛樹園の坂林です。

今年も、もう12月、早いですね。(^_^;)

一年の締めくくりの月ですね。

また、来年に備えていく、準備の月でもあるかなと思っています。

来年に向けて、良いスタートができるよう、しっかりと締めくくっていける12月にしたいと思います。

さて、前回から弊社の生い立ちを少し書かせていただいておりますが、私自身の整理の意味でも

この場をお借りして、ダイジェストでまとめてみたいと思います。

前回は、創業者の坂林俊治について、少し書かせていただきましたが、今回は

2代目の坂林一良について、少し書かせていただきたいと思います。

坂林一良は、私の父親でもあるわけですが、生まれは、昭和14年になります。

小・中と地元の学校で勉強をし、その後高校にはいかず、丁稚奉公に15歳から出ております。

本人は、高校に行きたかったのですが、坂林俊治のすすめで、手に職をつけるべく、働きに出たのです。

そして、宝塚の造園の老舗に住み込みで、働かせてもらいに出ました。

直接は聞いていませんが、多分もっと勉強もしたかったと思いますし、友達とももっと遊びたかったのではないかと思います。

 

丁稚奉公に出ると、10年後には独立するという志のもと、しっかり仕事をし、学ぶべきものを学んで、身に着けるべき技術を身に着け

予定通り10年後に、独り立ちをし造園工事を主体にした会社を立ち上げました。

坂林俊治が、この造園という道に導き、坂林一良が造園工事業という形で確立した形になります。

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坂林一良の10代の頃の若い写真。

仕事柄、川の流れや、石積等々、そうした施工の機会も多かったので、自然環境との触れ合いも好きだったようです。

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当時、自宅の角先で撮った写真です。

一番奥が、父親で、手前が母親、その手前がおばあちゃん、その手前はひいおばあちゃん、一番手前は親戚のおばさんです。^_^

ひいおばあちゃんも、私が小学4年の時まで健在でしたので、とても懐かしい写真になります。

それと、昔は坂林盛樹園ではなく、坂林造園だったんですね!!

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この写真は、坂林一良が、工事の部門を26歳で立ち上げて、20年ほどたった時の写真ににります。

工事を立ち上げたといいましても、基本的には、工事に関係する機材(レッカーとかダンプカー等)はなかったわけですので、一つ一つ買い揃えて

いったことになります。

当時は、ブルトーザーやレッカーも5tレッカーと10tレッカーがあったんですね。

日本が高度経済成長を遂げていこうとしていた時ですので、父親が身に備えた技術や知識

感性が時代のニーズともあって、成長させていただけたのだと思います。

また、着実に成長させていただけたことを思いますと、中学を卒業し10年間の修業時代

いかに、コツコツと実績を積み上げていったのか、志を高く力強く進んでいったのかを

思うと、私としては、目頭が熱くなる思いがするのです。感謝 感謝